東京高等裁判所 昭和24年(ナ)10号 判決 1949年11月15日
原告
靑木惠一郞
外三名
被告
長野縣選挙管理委員会委員長
主文
原告等の請求はいずれもこれを棄却する。
訴訟費用は原告等の負担とする。
請求の趣旨
原告等訴訟代理人は「昭和二十四年一月二十三日施行の長野縣第一区、第二区、第三区及び第四区における衆議院議員選挙はこれを無効とする。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求めた。
事実
昭和二十四年一月二十三日施行の衆議院議員総選挙に際し、原告靑木惠一郞は長野縣第一区の、原告田中操吉は同縣第二区の各選挙人で且ついずれも議員候補者であり、原告山田四郞吉は同縣第四区の選挙人であり、原告伊藤富雄は同縣第三区の選挙人であると共に同縣第四区の議員候補であつた。ところで、右選挙に当り長野縣下全選挙区に亘つて概要次の如き全國にその類を見ない大規模なる不法干渉が行われ、爲に選挙の自由公正は甚しく侵害せられるに至つた。かかる状況の下に行われた右選挙はもとより無効たること明白である。即ち、投票日の前日たる同年一月二十二日縣下全選挙区の各市町村内において、
「有権者の皆さん、愈々明二十三日は、総選挙と國民審判の日であります。
世界各國はこの意義ある明二十三日に果して、日本國民がマッカーサー元帥から與えられた日の丸の旗を中心として、日本再建に対して熱と力を有し、独立國家として世界各國に列する資格を有するかどうかを示すバロメーターとして注目しています。
日本國を再建し皆さんの生活に光明を與えるためには、一人残らず投票することと、極端なる過激分子のでたらめ宣傳に乘つて、自由公正な選挙をあやまつてはならないことであります。
一部過激思想は日本においても、終戰後の再建に妨害を加えて來たことは皆さんよく知つているでしよう。
皆さんは日本の現情では外國の援助がなければ経済の復興は望めないことを御存じでしようから、お互いに棄権をしないようにし、日本の復興を自らなすということを投票によつて表明しなければなりません。」
との内容を記載した毛筆書の大ポスターが各投票所入口その他最も人の目につき易い場所に貼り出され、同文の内容を活版又は謄写版で印刷したビラが各所で撒布され、又は隣組の組織を通じて回覽され(現在判明している所だけでも、下水内郡飯山町、豊井村、更級郡桑原村、篠ノ井町、岡谷市、諏訪市等においては市役所町村役場の指示により、旧隣組を通じて回覽された)更に、これと同趣旨の文句が拡声機を用いて、街頭で繰り返し演説放送された。
その結果、右の趣旨は選挙人の殆ど全部に周知徹底せしめられたのである。ところで右のような文書は、(一)日の丸の旗を中心としての日本再建、(二)外國の援助がなければ経済の復興は望めない、とする点で保守的で且つ外資導入を政策として掲げる民主自由党ないし民主党の候補者に投票を集めることを目的としていると共に他面、(三)極端な過激分子のでたらめな宣傳に乘つて自由公正な選挙をあやまつてはならない、(四)一部過激思想は日本においても終戰後の再建に妨害を加えて來た、と書くことによつて、そのいわゆる過激思想なるものと目されている共産主義を奉ずる日本共産党の候補者或は同党と同調する民主々義的な他党の候補者に対する投票を阻止することを目的としていることは、弁解の余地ない程に明白である。而して以上の行爲は、選挙の管理執行の任に当る長野縣選挙管理委員会及びその指揮監督下にある各市町村選挙管理委員会の当局係員によつて組織的に遂行され、上部より下部に対する指示連絡には警察電話を使用するという状況であつて選挙の自由公正を害すること極めて甚大であり、これを選挙取締法規に照すも、右様の文書を貼付又は撒布し、これを回覽させることは、昭和二十三年法律第百九十六号選挙運動等の臨時特例に関する法律第十九條及び第二十條に違反して「選挙運動のために使用する文書」を頒布し又は掲示したことに該当し、右文書を演説放送することは同法第十五條に違反する行爲であるだけでなく、当局係員がこれに関與した点において衆諸院議員選挙法第九十九條違反の責は免れない。これを要するに、本件選挙の運営は選挙法令の規定に違反し到底適正なものとはいい難く、然かも右の違法は事実において選挙の結果に異動を及ぼす虞ある場合に該当する。即ち、
第一区では定員三名のうち、民主党一名、民主自由党二名が当選し日本共産党原告靑木惠一郞が次点となつている。
第二区では定員三名のうち、民主自由党一名、民主党一名、國民協同党一名が当選し、民主党が次点となりその次に日本共産党原告田中操吉がこれに迫つている。
第三区では定員四名のうち、日本共産党一名、民主自由党二名、國民協同党一名が当選し、日本社会党野溝勝が次点。
第四区では定員三名のうち、民主自由党三名が当選し、日本社会党棚橋小〓が次点、日本共産党原告伊藤富雄がこれに続いている。
そして、若し、前述のような違法行爲がなかつたならば、当然民主自由党ないし民主党所属候補者に投ぜられた票の大部分は、日本共産党ないし日本社会党の候補者に入ることとなり、その結果靑木惠一郞その他右両党の候補者の当選を見るに至つたであろうことは、社会通念上容易にこれを推測することができる。よつて原告靑木は、長野縣第一区の、原告田中は同縣第二区の、原告山田は同縣第四区の、原告伊藤は同縣第三区及び第四区の各選挙を無効とする趣旨の判決を求めるため、本訴に及んだ次第である。
被告指定代理人は、原告等の請求を棄却する判決を求め、左の如く答弁した。
昭和二十四年一月二十三日施行の衆議院議員総選挙に際して、原告等がその主張の各選挙区における選挙人若しくは議員候補者であつたこと、各選挙区内市町村において原告等主張の文言のポスターが貼付され、同文のビラが撒布され、所によつては拡声機によりその内容が放送されたこと、及び各選挙区における当選者及び落選者が原告等主張の通りであつたことは認める。又原告等主張の各市町村その他で、部落若しくは各区の嘱託員、自治区長又は適当なる有権者等を通じてビラの配布又は適宜の方法による右文書の趣旨の周知徹底を期する措置が採られたことも認めるが、右はいずれも旧隣組の組織とは全く無関係になされ、原告等の主張するように旧隣組を利用して右ビラが回覽されたような事実はない。その他原告等の主張事実はこれを否認する。そもそも、本件ビラ、ポスター等の配布、貼付、放送については、長野縣中村副知事及び多田総務部長が長野軍政部長代理ストラツトン少佐の口頭によるその旨の指令を受け、同指令を地方課長、各地方事務所、各市町村役場等の一般行政系統の機関に傳達してこれを爲したのであり、長野縣選挙管理委員会は全然これに関與しなかつたのである。又右文書の記載内容に徴するも、何等特定の候補者又は政党その他の政治團体を支持又は排撃する趣旨のものではなく、單に有権者の棄権を防止し、その自由公正な判断による投票を勧奬した啓蒙的な文書たるに過ぎず、これが配布等は毫も選挙干渉等の不当な意図に出たものと見ることはできない。仮りにこれが配布貼付等を以て、或は選挙人の自由な判断を妨げ、選挙の公正を害すると思量されることがあつたとしても、わが國がポツダム宣言を受諾して降伏文書に署名した結果、天皇及び日本政府の國家統治の権限は降伏條項を実施するための適当と認める措置をとる連合國最高司令官の制限の下に置かれることとなり、從つて連合國最高司令官が右目的のために適当と認める措置を要求してきた場合には、わが國政府にはこれを取捨する余地はなく、ただ迅速且つ誠実にこれを履行すべき義務が存するのみである。このことは、地方においては府縣軍政部長と府縣知事その他の日本側行政機関との間においても同様に考えらるべきであつて、本件の場合、長野縣知事を代理する中村副知事が連合國最高司令官から正当に任命された長野軍政部長代理ストラツトン少佐から本件ビラの印刷、頒布、貼布又はビラの文言と同一の趣旨の放送を指令された場合、同副知事としてはこれを拒否する権能はなく、速に該指令を実施に移す以外途はなかつたのであるから、その点においてわが選挙法令の効力は自ら制約を受けるものとみるべく、右行爲を以て不当な選挙干渉であると爲すのは失当である。更に今次衆議院議員総選挙にあつては、民主自由党等所謂保守派政党が全國的に圧倒的多数の得票を得たことは顯著な事実であると共に他面長野縣においても共産党所属候補者に投ぜられた票数は從前選挙に比較し著しく増加しており、本件ビラの配布ポスターの掲示等は、所期の如く大いに棄権防止の効果を挙げたけれども、原告等の主張するように選挙の結果に異動を及ぼしたものとは到底考えられず、從つて原告等の本訴請求は失当である。
証拠として、原告等訴訟代理人は甲第一ないし第五号証(第二号証は写)を提出し、証人春日佳一、中島弘爾、今井敏〓、小岩井源一の各証言を援用し、乙第一ないし第十七号証の成立は不知、その余の乙号各証の成立を認めると述べ、被告指定代理人は乙第一号証、第二号証、第三号証の一ないし五、第四ないし第十七号証第十八号証の一、二、第十九ないし第二十一号証を提出し、証人多田仁己の証言を援用し、甲第二号証の原本の存在並びに成立を認め、その余の甲号各証は凡て不知と述べた。
理由
昭和二十四年一月二十三日施行された衆議院議員総選挙に際して、原告等が夫々その主張の長野縣各選挙区における選挙人若しくは議員候補者であつたこと、各選挙区内市町村において原告等主張通りの文言のポスター、ビラ等が貼布又は撒布され、又所によつては拡声器を用いて同一内容の放送が爲されたことは当事者間に爭がなく、又右ビラが旧隣組の組織を通じて回覽されたことは、当裁判所の採用し難い甲第一号証、第四号証の記載を除いては、これを認むべき証拠がないが、原告等を主張の各市町村その他で、部落若しくは自治区の属託員区長又は適当なる選挙権者等を通じて、ビラの配布その他適宜の方法によつて、右文書の趣旨を各選挙人に周知徹底せしめる措置が採られたことは、被告の自認するところである。
そこで、右文書の貼布がいかなる事情の下に爲されたかを審究するに、原本の存在並びにその成立に爭のない甲第二号証、証人多田仁己の証言によりその成立を認めうる乙第一号証、弁論の全趣旨に照し眞正に成立したものと認むべき同第二号証第三号証の一ないし五、第四号証、第十四号証、第十五号証に、証人多田仁己の証言を綜合すれば、およそ次の事実を認めることができる。
昭和二十四年一月二十一日午後四時頃中村長野縣副知事、多田同縣総務部長は、長野軍政部長代理ストラツトン少佐の許に招致され、予め軍政部において用意した原稿(これに原告等主張の如き文言が記載してある)に基いて可及的多数部の宣傳ビラを作成し、後に提示する配布計画に從い、一部分は軍政部自ら飛行機を以て配布し、他は縣当局係員が翌二十二日中に各市町村に配布貼付できるよう準備すべき旨の命令を受けた。そこで縣当局では直ちに右原稿を受け取りビラ四万五千枚の印刷注文を爲したが、内五千枚は同日中に刷り上つたので軍政部係官の指示を受け、諏訪市、岡谷市、及び諏訪郡下各町村に配布して関係地域に貼付するよう手配し次で翌二十二日午前中、残四万枚が出來たので、うち二万六千八百枚は前記配布計画に基き、三十枚位宛の綴とし縣下各町村別に区分して軍政部に届けたところ、同日中飛行機にて配布され、残一万三千枚は所定計画通り、各地方事務所及び市の係員に手交し、地方事務所からは、更に各町村に配布し、それぞれ中心地域に貼付するよう傳達した。又多田総務部長は、軍政部の指令により、二十一日夕刻縣下各市町村に対し、警察一齊電話を以て、右ビラと同一内容のポスターを市役所及び町村役場に掲示するよう指示し、次で二十二日午前縣廳始め拡声機の施設ある個所では、ビラと同一内容の文句を放送するようこれ亦警察一齊電話を以て各地方事務所を通じ各市町村に連絡処置せしめた。本件ビラ、ポスター等の配布貼付及び拡声機による放送はかようにして長野軍政部の指令に基き縣ないし市町村の行政機関を通じ実施せられたのであつて、長野縣選挙管理委員会及び市町村選挙管理委員会としては全然これに関せず從つて右ビラ等には最初から長野軍政部の名義を記載する筈であつたが、印刷にこれが脱落したまま各市町村に傳達された関係上、無署名のままで配布又は貼付されたところ、縣当局に對する軍政部の注意により直ちにその旨を下部に通知したので、爾後貼付ポスターには長野軍政部と記入されるに至つた。この間本來長野縣下水内地方事務所長として発すべき関係文書に長野縣選挙管理委員会の下水内書記長名を以てした事例や(甲第二号証参照)西穗高村の如くビラの末尾に同村選挙管理委員会の名を署し、後に地方事務所からの指示により長野軍政部名を記入したようなこともあつたけれども、右は前記軍政部の指令に基く通達の趣旨の誤解又は不徹底に因るものに外ならない。
ところで、本件ビラ、ポスター等の文言並びに放送内容は、果して原告等の主張するが如く、保守政党の候補者を利すると共に共産党等の候補者の得票に妨害を加える趣旨のものであろうか。思うに、通例極端なる過激分子又は過激思想というときは新憲法の定める民主主義的統治組織殊に議会制度を中軸として平和的な合法手段を以て國家社会の進歩改革を成就しようとするのではなくて、目的たる社会革命を実現するためには敢て非合法手段を辞せず、暴力を以て社会秩序を破壞し、因て人心の不安と混乱を生ぜしめ、これに乘じて政治的権力を掌握せんことを企図するような矯激なる思想又はかかる主義、思想を抱いて社会運動に從事する者を指すのであつて、もとより、いわゆる極右的たると極左的たるとを問わないのである。今次敗戰によつて極度に破壞されたがわが國経済を復興し、新憲法の掲げる民主々義の理想に從つてわが國を平和的文化的國家として再建するためには、かかる過激思想又は過激分子が極めて有害にして危險であることは、何人も疑を容れないところであろう。本件は、要するにこの当然の事理を説いて長野縣下一般選挙民に対し、その責務の重大なることの自覚を促し、決して棄権することなく、又極端なる過激分子の無責任なる言説に迷わされて選挙権の行使を誤ることのないよう勧告する趣旨に出たものであつて、いわゆる選挙啓蒙運動として爲されたものに過ぎないことは、該文言自体に照すも、又前記認定の如く、これが長野軍政部の立案計画に基く指令の実行として爲された経緯に徴するもまことに明白であり、原告等の挙げる凡ての証拠によるも、何等特定候補者又は政党を支持し又は排撃する意図を藏するものと認めることはできない。その過激思想とは共産主義の謂であり、極端なる過激分子とは日本共産党に所属する者等を暗示するものに外ならぬとする原告等の主張は、確証を伴わぬ單なる推測若しくは邪推に基くものであつて採用すべき限りではない。從つてかかる文書の貼付又はその内容の放送等は固より、選挙運動等の臨時特例に関する法律の規定その他いかなる選挙法令にも牴触するものではなく又これにより選挙の自由公正を害することのないのは、多言を要しないところであつて、從つて長野縣選挙管理委員会がこれを不問に附し何等の措置を構じなかつたからといつて、これを不当であるとして責めることはできない。
以上の次第で原告等の本訴における主張は悉く理由なく、その請求はいずれも失当として排斥を免れない。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條、第九十三條に則り主文のとおり判決する。